「北九州監禁殺人事件」という事件をご存知でしょうか。
2002年3月に発覚したこの事件は、今もなお日本犯罪史上屈指の凄惨な事件として多くの人に知られています。
主犯の男性と共謀した女性の2人により、子どもも含めた7人が犠牲となりました。
この事件で用いられたのは、主犯男性の異様なまでの人心掌握術と暴力と恐怖によるマインドコントロールです。
また、後に発覚する「尼崎事件」にも多大な影響を与えた事件であるといわれています。
どのような洗脳・マインドコントロール手法がこの事件では用いられたのでしょうか。
北九州監禁殺人事件の全容と、用いられた洗脳手法を探偵目線で解説します。
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北九州監禁殺人事件は、1996年から2002年までの間に福岡県北九州市で発生した監禁・連続殺人事件です。
事件となる出来事が起きたのは上記の期間ですが、その遠因はある男女の出会いから始まりました。
この事件の主犯は松永太という男です。
福岡県北九州市に生まれ8歳で柳川市に移った松永氏は、中学時代までは持ち前の口の上手さを利用した激しい自己主張でバレーボール部のキャプテンや卒業アルバムの製作委員などの役職に就きました。
しかし弱い者いじめの現場を見られていたことで女子からの人気はなく、不良の眼中にも入らないような人物だったとかつての同級生は証言しています。
高校入学後は家出した女子中学生を自宅に泊めて退学となり、3年次に久留米市の高校に転校後は女性関係がさらに派手になっていきました。
周囲からは整った顔立ちといわれる容姿もあって女性とすぐ関係を持てましたが、女性を金づると考えるような発言も当時からあったとのことです。
高校卒業後は何社か転々とした後に実家の布団販売営業を継ぎますが、自身の会社を設立して以降は従業員へのパワハラ行為が目立ったといいます。
会社の倉庫に従業員を閉じ込め、むき出しにした電気コードによって感電させる「通電」という虐待行為があったようです。
松永氏が退学した高校で同級生だったのが、共犯となる緒方純子被告です。
1982年、松永氏は結婚している身でありながら純子被告と接触し、肉体関係を持ちます。
その後暴力を振るわれるようになったことで純子被告は自殺未遂を図り、純子被告の両親は関係解消を迫ります。
しかし「このまま自宅にいるとまた自殺しようとするかもしれない」など得意の話術で両親を説得し、純子被告を自らの会社で働かせました。
その後の純子被告は以前までの真面目な性格から一変し、脅しのような催促も簡単に行なうほど別人のような変貌を遂げたという証言があります。
また、松永氏は純子被告とともに当時の妻に暴力をふるい、1992年に離婚が成立してから松永氏と純子被告は内縁関係となりました。
さらに、松永氏は純子被告の母親とも肉体関係を持ち、関係をより複雑化させました。
あげくには純子被告の妹が結婚する際にも、財産分与の面で松永氏は純子被告を通じて口出しし、純子被告は実家から勘当されています。
事件前から、常識では考えられないような行動で自らの理想的な状況を作っていた松永氏。
ここから、事件の核心となる監禁殺人事件が発生します。
被害の全貌を時系列順で解説します。
会社の金策に困った松永氏と純子被告は、一時石川県七尾市に逃亡するも故郷である福岡県北九州市に戻りました。
その際に松永氏は知人で不動産会社勤務のH家主人に接触し、いくつかのマンションをアジトとして確保しました。
また、松永氏はH家の姉とも交際関係を結びました。
その後、H家主人が仕事で工賃を着服した事実を知った松永氏は、弱みにつけこんで事実無根の犯罪を認めさせる事実確認書を書かせ、H家主人に虐待を加えました。
時にはH家の娘を虐待に加担させるなどの加害を重ね、1996年2月26日にH家主人は衰弱死しました。
その後、松永氏はH家娘にH家主人を殺したと認めさせる事実確認書を書かせ、罪悪感による拘束を行ないました。
H家主人の死亡後は金策に苦しんだため、純子被告は実家に連絡して母と妹に資金援助を頼みました。
松永氏との肉体関係があった母は応じましたが、妹からは断られたとのことです。
その後、湯布院でホステスとして働きにいった純子被告は逃亡したとみなされました。
H家主人殺害が純子被告一人の罪と伝達された緒方家父・母・妹は松永氏の居住マンションに呼び寄せられ、松永氏の虚偽の葬儀を伝えられた純子被告は北九州市に戻りました。
こうして緒方家は松永氏の手中に収まり、さまざまな口実で多額の金銭を要求されることに。
久留米市の自宅から北九州市に通うことで緒方家父・母・妹に疲労がたまり、酒宴を設けることで家族の不満を聞き出すなど弱みを握ります。
また、緒方家妹は過去に松永氏と交際していたことも明らかとなり、2人は再び肉体関係を持ちます。
一家の行動を不審に思った妹の夫(義弟)も北九州市に現れ、妹が過去に妊娠中絶したことを松永氏に聞かされ精神的ショックを受けました。
加えて、緒方家父が土地の名義変更をしていなかったなど緒方家への不信を煽られ、妹と義弟の夫婦関係が悪化。
元警察官である義弟が緒方家と共に反抗する可能性を消すことに成功しました。
また、妹と義弟の娘と息子(純子被告の甥と姪)も通っていた保育園・小学校に行くことはなくなりました。
この間もH家娘は松永氏と純子被告の監視下に置かれ続け、純子被告不在時はその代わりとしての役割を担いました。
監禁で行動も食事も制限されたなかで虐待が続いたことで、1997年12月に緒方家父、1998年1月には母、同年2月には妹、3月には義弟と立て続けに殺害されていきました。
いずれも共通点としては松永氏は手を下さず、殺害させる方針は決めながらも実行の判断や遺体処分はすべて純子被告を含めた緒方家に投げた点です。
精神的に支配することでしか成し得ない、自らの手を汚さない殺害方法といえます。
残ったのは松永氏と純子被告以外は二人の長男・次男、純子被告の甥と姪、H家娘。
特に反逆の可能性が高いと思われた緒方家の子ども達は真っ先に狙われ、いずれも純子被告とH家娘の手によって殺害されました。
また、金策のために松永氏は不仲に悩む主婦に目をつけ、主婦を風俗店で働かせ多額の金銭を貢がせた上に、女性の双子の息子を預かりました。
2002年1月にH家娘は北九州市内に住む祖父母の下に逃亡を図りますが、松永氏と交際関係にあったH家の姉から行方が漏れました。
この際も松永氏は祖父母にH家娘の虚偽の非行行為を伝え、強引に連れ戻しました。
再び虐待が加えられるも、同年3月6日に再び脱走し、ついに警察に通報。
H家娘の証言から捜査のメスが入り、この残虐な事件が白日の下に晒されました。
事件は明るみに出ましたが、殺された7人の遺体は完全に消失してしまい、物的証拠はほとんどない状態でした。
しかし黙秘を続けていた純子被告の供述が始まると、書かされた多数の事実確認書や遺体処分に使われた道具などが見つかり、事件の全容が解明。
かくして、日本の犯罪史上に残る残虐な事件の存在が公となったのです。
裁判の結果、第一審では松永氏と純子被告両名に死刑判決が言い渡されましたが控訴。
最高裁まで進んだ結果、松永氏は死刑判決のままでしたが純子被告は指示に逆らえなかったと無期懲役に減刑されました。
現在もまだ、松永氏の死刑は執行されていません。
類を見ない凄惨な事件を引き起こした松永氏ですが、いずれも殺害自体は他人に行なわせて、自らの手を汚していません。
なぜこのような洗脳が実現できたのか、松永氏の手口を見ていきましょう。
松永氏の一番の武器は、相手の懐に自然に入り込む喋りの上手さです。
裁判中に面会したある取材記者も、死刑判決に控訴中の人間とは思えない屈託とした語り口に啞然としたとのこと。
特に異性関係は少年時代から多くの関係を築いており、美女は避けて大人しそうな女性に近づいてお金を貢がせたようです。
また、お金を要求する際も直接的に「お金をくれ」といった内容は伝えず、遠回しにお金を払わせる言い回しを多用していたといいます。
松永氏は暴力による支配を欠かさず、会社経営時代に考案した「通電」を主に使用していました。
「通電」の衝撃は目の前が真っ白になるだけでなく、恐怖感に加え生きる意味すら失わせるほどだと純子被告は証言しています。
これを体中の至る所、時には性器に対しても行ない、純子被告の甥以外の子どもも「通電」を受けたとのことです。
松永氏の洗脳のターゲットには、「世間体を気にする」という共通した特徴がありました。
H家主人は自らの工賃着服、緒方家は純子被告の殺人疑惑など、世間に知られたくない事情を抱えています。
弱みを握られ、なかには公表されたとしても新しい場所で堂々と生きていける人もいるでしょう。
ですが、この事件の被害者は皆公表されることの不利益を考慮した結果、どんどん松永氏の術中にハマってしまったのです。
尼崎事件でも参考にされたのが、家族の分断工作です。
虐待などで肉体的・精神的に疲弊させた上に、お互いの不満を言わせようとしました。
監禁時は松永氏を頂点とした階級制度を設け、誰かへの不満を言った者を昇格させ、下位の者には「通電」を行なう支配構造を構築しました。
このようにして不満を言わせた方が得だと思わせ、家族の分断を狙いました。
何か問題が起きる度に、松永氏は「事実確認書」などの文書を書かせて、自らの過ちを認識させるようにしました。
この文書にははっきり言って法的効力はありませんが、自らの行動が「事実」として記録されてしまえば、それを覆すことはできないでしょう。
もし松永氏に抵抗しようものなら、独自の支配構造のなかで記録された過ちをダシに「通電」などの厳しい罰則が待っていることは容易に想像できます。
抵抗を諦めさせるという点で、文書を書かせることの効果はあると言えるでしょう。
北九州監禁殺人事件は、日本の犯罪史上に残る凶悪な洗脳事件です。
外部からは被害の実態がわかりにくいため、事件の発見が遅れたり被害が取り返しのつかないほどに深刻化しやすくなります。
このような洗脳対策は、一体何をすればいいのでしょうか。
北九州監禁殺人事件が起きた遠因ともいえるのは、自殺未遂をした純子被告がそのまま松永氏のもとに行ってしまったこと。
自宅で自殺未遂をしたこともあり、緒方家も自宅に置いておくのは危ないかもしれないと思ったでしょう。
しかし、松永氏の言い分である「このまま自宅にいるとまた自殺しようとするかもしれない」は、逆に松永氏の下に行っても状況が好転するかはわからないともいえます。
このような目先の問題の解決策を提示したかのようにして、自らに都合の良い状況を作り出す口実を作るのが洗脳のやり口。
家族の内情にまで口を出す存在が現れたら、まず警戒した方がいいでしょう。
入り込まれる前に外部に相談できれば、対処は十分可能です。
北九州監禁殺人事件の被害者たちは、職場に来なくなったり急に引っ越したりと、外部から見れば不可解な動きをしていました。
もちろんそれぞれの家庭の事情があるとはいえ、不審な動きがあれば怪しむのが普通。
その違和感は正しい可能性もありますので、もし身内や近くで気になる動きをしている人がいれば当探偵事務所にご相談ください。
探偵であれば、洗脳を行なおうとしている人物の背後関係も調べ上げ、どのような素性を持っているのかを調査します。
調査で明らかにした事実によって、洗脳の解消を目指します。
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執筆者 / 池田
1989年生まれ。知人が嫌がらせ、ストーカー被害に遭い、問題解決を手伝う。蓄積したノウハウを依頼者のために役立てる。実績豊富な探偵として活躍中!監修者ページ
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